津軽氏発祥の地・津軽西浜に所在する戦国城館
堀 越 城
堀越城 本丸跡
1.城データ
年 表
1336年… | 北朝方の曾我太郎貞光により築城される |
1334年… | 師行が戦死し、南部家が弱体する。 |
1550年頃… | 大浦家が堀越城の武田氏を降す |
1594年… | 大浦家が大浦城より堀越城に本拠を移す |
1607年… | 弘前氏が堀越城より弘前城に本拠を移す |
1615年… | 一国一城令により廃城となる。 |
1985年… | 国指定史跡に認定される |
1998年… | 発掘調査が始まる |
概 要
堀越城は北朝方の曾我太郎貞光により築城された平城で戦国時代に入ると、大浦家が入城し支配します。
弘前藩初代藩主・津軽為信が生前最後の居城として城である。実は津軽為信は弘前城に居城した事がないという事実についてはあまり知られていない。
1594年に為信が大浦城から堀越城へと本拠を移した後、1607年に弘前城に本拠地を移すまで津軽家は堀越城を本拠地として使用していた。
そして1615年一国一城令により廃城となった。
立 地
津軽平野南部やや東寄りお平野部に位置する平城である。基本的には堀・土塁により人為的な高低差が守りの要となる「土の城」である。
構 造
南東部寄りに本丸を配し、その北西に二の丸と小丸、本丸東側に三の丸、そして城域南緑に外溝、北側に来たの曲輪が配される。
各曲輪を堀が取り囲むほか、外溝南緑には前川が東流する。
北西端の三差路に鳥居がありこれが現在本丸に鎮座する熊野宮の参道であり、また小宮の入口となる
三の丸からは、複数の大型の堀立柱建物が確認されており、家臣団の屋敷地が存在した可能性が想定される。
現在の堀越城
堀越城の発掘調査は1985年~2013年間の16年間行っており、その過程で場内の様子が徐々に明らかになってきている。
さらに平成24年度から本格化した整備事業により公開環境も向上しており現在では「津軽の城」を気軽に散策できる様になっている。