上条上杉家生まれの文化人

上杉 房実うえすぎ ふさざね

概 要

越後上杉家の分家、上条上杉家の創立者・上杉清方の子として誕生。兄は越後上杉家6代目当主・上杉房定
連歌を好んだ文化人で、実子は越後上杉家最後の当主、上杉定実

  ポイント

  • 上条上杉家当主、上杉清方の次男
  • 越後上杉家最後の当主・上杉定実の実父
  • 連歌を好んだ文化人

誕生・死没

  • 誕生:1443年
  • 死没:1508年
  • 享年:65歳

名 前

  • 蓮器、朝日寺(号)
  • 玄澄(戒名)

所 属

官 位

  • 淡路守

親 族

上杉清方
兄弟 定顕、房定房実
定実、上条定明、積翠院(伊達尚宗正室)
上条定憲
義兄弟 積翠院(伊達尚宗正室)

略 歴

1443年 0歳   上杉清方の次男として誕生
1486年 45歳   た万里集九を迎えて詩歌の会を開催する
1495年 52歳   た新撰菟玖波集には玄澄法師の名で入集する
1508年 65歳   死 去

出 自

越後上杉家の分家である上条上杉家で生まれる

房実は越後守護である越後上杉家の分家である上条上杉家・上杉清方の子として誕生する。
上条上杉家は清方が創立した分家で上条城を本拠地とており、「上条房実」とも呼ばれている。

人物

連歌を好んだ文化人

兄である越後国守護・房定の時代には京より多くの文化人や公家らが越後を訪れ、越後の文化は大いに発展した。房実も連歌を嗜み、1488年越後を訪れた万里集九を迎えて詩歌の会を催している。
1495年に成立した新撰菟玖波集には玄澄法師の名で6句入集している。また尊応流、二楽流の流れをくむ能書家として「筆跡流儀系図」「流儀集」「古筆流儀別」に名が挙げられている[8

参考資料(引用元)