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兄・憲忠死去により成氏征討軍の大将となった関東管領
上杉 房顕
概 要
山内上杉家10代当主。上杉憲実の次男として誕生。幼少期を足利将軍の下で過ごすが兄・憲忠が足利成氏によって暗殺されると関東管領に任命され、成氏征討軍の大将として関東へ下向する。その後、五十子に足利成氏との対陣中にて戦没した。
ポイント
- 少年期は8代将軍・足利義政の近臣として仕えた
- 兄・憲忠が足利成氏に暗殺されると関東管領に任命され、成氏征討軍の大将として関東へ下向する
- 足利成氏との戦い(五十子陣)にて戦没した
誕生・死没
- 誕生:1435年
- 死没:1466年
- 享年:32歳
名 前
- 龍春(幼名)
官位・幕職
- 兵部少輔
- 関東管領
所 属
略 歴
1435年 | 0歳 | 上杉憲実の次男として誕生 誕生後従兄で越後国守護・上杉房朝の下に留め置かれた |
1444年 | 9歳 | 父から越後と丹波国の所領を与えられる。 8代将軍・足利義政の近臣として仕える |
1455年 | 21歳 | 兄・憲忠が足利成氏に暗殺される 関東管領に任命され、成氏征討軍の大将として関東へ下向 |
1459年 | 25歳 | 武蔵国での太田庄の戦いで成氏軍の前に大敗を喫する |
1463年 | 29歳 | 重臣・長尾景仲が病没 関東管領からの辞意を表明したが、幕府に拒絶される |
1466年 | 32歳 | 五十子にて在陣中に戦没する |
誕生と少年期
1435年、上杉憲実の次男として誕生。
永享の乱と結城合戦に勝利した父・憲実はかつての主君であった足利持氏を滅ぼした罪悪間により自らと房顕以外の子供を全て出家させた。そのため、房顕はしばらく従兄で越後国守護・上杉房朝の世話になった。
その後、1444年に父から越後と丹波国の所領を与えられ、上洛して8代将軍・足利義政の近臣として仕えた。