庁南氏や真里谷氏の祖・武田信長の嫡男。足利成氏に従い各地を転戦する
武田 信高
概 要
父は甲斐武田家の一族で庁南氏や真里谷氏の祖・武田信長。享徳の乱では父と共に足利成氏に従い各地を転戦し活躍した。後に父・信長が隠居すると家督を継ぎ庁南城主となった。
ポイント
- 武田信長の嫡男
- 父と共に足利成氏に従い各地を転戦し活躍する
誕生・死没
- 誕生:?
- 死没:1450年
- 享年:?
名 前
- 伊豆千代丸(幼名)?
- 上総介
官 位・役 職
- 官位:右馬助
所 属
略 歴
1463年 | ?歳 | 父の隠居に伴い家督を継ぐ |
1455年 | ?歳 | 享徳の乱が勃発 |
1477年 | ?歳 | 足利成氏に従い五十子の戦いに参陣 |
1480年 | ?歳 | 死没 |
出生
☆ 武田信長の嫡男として誕生し甲斐守護・武田信元の養子となるが…
信高は甲斐武田家の一族で享徳の乱の活躍により上総を支配した武田信長の嫡男・として誕生する。
幼少期に甲斐守護・武田信元の養子となり甲斐守護を継ぐが幕府や鎌倉府からこれが認められず父とともに甲斐から駿河の今川家へ逃亡した。
一説によると、この逃亡の後に元服し「信高」と名乗ったと伝えられている。
☆ 伊豆千代丸の謎
一般的には信高は信長の嫡男・伊豆千代丸とされているが、江戸時代後期の書物「甲斐国志」によると、この伊豆千代丸は1433年に甲斐国内で戦死したと書かれている。
しかし、この「甲斐国志」は信憑性に欠けるという点で専門家の間でも意見が分かれている。
上総武田家の成立
★ 父・信長が上総に所領を得て上総武田を築いた後に信高が家督を継ぐ
享徳の乱の活躍により父・信長が上総に所領を得て、庁南城・真里谷城を築くと、信高は真里谷城主となって信長を支えた。
しかし、その後、信長が家督を継ぐと本拠地である庁南城に入城し、上総武田家の家督を継いだ。
享徳の乱
足利成氏に従い享徳の乱を戦う
1455年、関東で「享徳の乱(古河公方VS関東管領上杉家)」が勃発すると、信高は足利成氏に従い各地を転戦、1477年には「五十子の戦い」にも参陣している。
しかし、その3年後の1450年に病気のため死没した。