外交面で活躍し徳川秀康の結城家入嗣を取りまとめた
多賀谷 政広
概 要
結城家家臣。佐竹家や宇都宮家への使者や徳川家康の次男・秀康の結城家入嗣を取りまとめるなど外交面で活躍した。
ポイント
- 結城家家臣
- 佐竹氏、後北条氏などに対する外交の使者として活躍
- 結城秀康の結城氏入嗣をまとめた
誕生・死没
- 誕生:?年
- 死没:?年
- 享年:?歳
所 属
親 族
父 | : | 多賀谷為広 |
子 | : | 村広 |
結城家家臣として
多賀谷為広の子として誕生。多賀谷氏が結城氏に帰属する際、その人質として差し出され、そのまま結城氏の家臣となった。
結城家の外交官として
結城家の家臣として政広は下野宇都宮氏や佐竹氏、後北条氏などに対する外交の使者として活躍した、その活躍により下都賀郡内に知行を受け、1586年には常陸国の小栗城の在番も務めた。
徳川秀康を養子に迎える
1590年、小田原征伐の際に豊臣秀吉に謁見し、結城秀康の結城氏入嗣をまとめた。この際、秀康から2050石の知行を受けた。