佐竹貞隆を補佐し岩城家入りに随行する

佐竹 義憲さたけ よしのり

佐竹北家の居城・久米城跡
提供元:でんでん太鼓 様

  ポイント

  • 佐竹北家5代目
  • 佐竹義重の三男・貞隆を補佐し岩城家入りに随行する
  • 岩城家の家政を執行する

誕生・死没

  • 誕生:1570年
  • 死没:1599年?
  • 享年:30歳?

名 前

  • 又七郎(通称)
  • 左衛門尉(受領名)

所 属

官職・役職

  • 不明

親 族

  •  父 : 佐竹義斯
  • 正室 : 武茂氏の娘
  •  子 : 佐竹義廉

略 歴

1570年…佐竹義斯の長男として誕生
1565年…父・義廉が死去し家督を継ぐ
1591頃年…岩城貞隆の補佐として植田城に入る
1599年…死 去

概 要

佐竹北家・義斯の嫡男で佐竹北家5代目。佐竹義久の後を継いで奥州方面の軍権を任された。また、義重の三男・貞隆の岩城家入嗣に随行、植田城に入り岩城家の家政を執行した。

岩城貞隆の補佐役として

佐竹義重の三男・岩城貞隆の補佐役であった岡本顕逸が病死すると、天正19年(1591年)には貞隆の新たな補佐役として岩城氏の政務を取り仕切り、検地などを行なったという。

死亡年

義憲の死亡年には2説ある。1説は1599年でこれは父・義斯の死よりわずか2日後に死去したことになる。
もう一説は、1607年で主家(佐竹家)が出羽秋田に転封された際、これに従い義憲も秋田に移動したというものである。

参考資料(引用元)