佐竹北家として幼年の佐竹義昭を支え国政を取り仕切った

佐竹 義廉さたけ よしかど

佐竹北家の居城・久米城跡
提供元:でんでん太鼓 様

  ポイント

  • 佐竹北家3代目
  • 幼少の義昭を補佐し国政を仕切る
  • 外交面で活躍しする

誕生・死没

  • 誕生:1516年
  • 死没:1565年
  • 享年:35歳

名 前

  • 乙菊丸(幼名)
  • 又七郎(通称)
  • 左衛門尉(受領名)

所 属

官職・役職

  • 不明

親 族

略 歴

1516年…佐竹義信の次男として誕生
1533年…父・義信が死去し北家を兄・義住が継ぐ
1539年…兄・義住が部垂の戦いで死去し「佐竹北家」を継ぐ
1545年…佐竹義昭が佐竹家の家督を継ぐ
1565年…死 去

概 要

佐竹家臣。北家・義信の次男。兄・義住の戦死により家督を継ぐ。若年の宗家・義昭に仕え、東家・義堅や南家・義里らと交代で佐竹家の家政を執行した。

佐竹北家の家督相続

父・佐竹義信の次男として誕生する。つまり、本家当主佐竹義篤の従兄弟関係になる。
当初佐竹北家の家督は兄・佐竹義住が継いだ。しかし、佐竹義元の「部垂の乱」で兄・義住が戦死すると、義廉が家督を継いだ。

佐竹氏の重臣として

佐竹宗家の家督を義昭が継ぐと、義廉はまだ幼年だった義昭を東家の義堅とともに補佐として支え国政を取り仕切った。
主に外交面で活躍した。義廉の没後、嫡男の義斯が北家の家督を継いだ。

参考資料(引用元)