小浜城主。主家・塩松氏を裏切り田村家に寝返った
大内 義綱
居城:小浜城
概 要
陸奥の豪族。小浜城主。元は塩松氏の重臣であったが、主君・尚義を幽閉して実権を掌握。その後、尚義を追放し塩松地方を収めると、田村家に寝返った。
ポイント
- 陸奥の豪族
- 主家・塩松家を裏切り田村家に降る
- 田村家による安積郡の侵攻で活躍
誕生・死没
- 誕生:1496年
- 死没:1583年※大内氏系図より
- 享年:87歳
略 歴
1496年 |
0歳 |
誕生 |
1550年 |
0歳 |
主君・塩松尚義を幽閉 |
1568年 |
?歳 |
石橋氏を追放し田村家に仕える |
1576年 |
?歳 |
安積郡に侵攻し片平城を落とす |
1583年 |
?歳 |
死没 |
陸奥大内氏
陸奥大内氏は本姓を「多々良」といい大内義隆で有名な西国の有力大名・大内氏の庶流で石橋氏庶流・塩松氏の執事として奥州安達郡に入部した家系である。しかし、いつ嫡流から分かれたか不鮮明であり、偽称の可能性もある。
田村家へ内応
義綱は塩松(石橋)氏の重臣であったが、1550年、主君・塩松尚義を幽閉して石橋氏の実権を掌握、1568年には田村氏に内応して尚義を追放し、塩松地方を手中に収めた。翌年には同じく石橋氏の重臣だった宮森城主・大河内備中を攻め滅ぼし田村氏の傘下に下った。
田村家での活躍
田村家に下った義綱は1576年には田村家の安積郡に侵攻に貢献し、安積伊東氏の片平城(福島県郡山市片平町)を落とすなど活躍した。
『大内氏系図』によれば、1583年5月に87歳に没したと伝えられている。
参考資料(引用元)
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戦国1000人
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