奥州探題として陸奥・出羽両国で権威を振るった

大崎 教兼おおさき のりかね

丸に二つ引き紋

大崎氏家紋

  ポイント

  • 大崎氏第7代当主
  • 奥州探題として陸奥・出羽両国で権威を振るう
  • 葛西氏との争いが始まると大崎氏の衰退が始まる

誕生・死没

  • 誕生:?
  • 死没:?
  • 享年:?

名 前

  • 彦三郎(幼名
  • 持兼(初名?)

所 属

官職・役職

  • 官位:左衛門佐、陸奥守、従四位下
  • 幕府:奥州探題

親 族

  •  父 : 崎持詮
  • 兄弟 : 内崎兼宜
  • 兄弟 : 大崎成兼
  •  子 : 大崎政兼
  •  子 : 百々高詮
  •  子 : 慧厳院(伊達成宗正室)
  •  子 : 内﨑兼宣
  •  子 : 斯波詮高
  •  子 : 高清水定家
  • ほか多数

略 歴

1424年 左衛門佐に任官
第6代将軍・足利義教の偏諱を受け、教兼に改名

概 要

大崎氏代7代当主。奥州探題として陸奥・出羽両国で権威を振るった。のちに葛西氏との精力争いが勃発すると、抗争を繰り返し大崎氏の衰退が目立つようになった。教兼の「教」は室町幕府六代将軍・足利義教の偏諱を受けたといわれている。

子だくさん

子宝に恵まれ、嫡男の政兼や百々高詮以外にも一迫氏、内ヶ崎氏、中新田氏、古川氏、師山氏、平柳氏の他、高清水氏や黒川氏、中野氏にも入嗣させている。
娘の慧厳院は伊達成宗に嫁いで尚宗を生んでいる。