信濃小笠原家当主。鈴岡小笠原家や隣国の諏訪家と争った

小笠原 清宗おがさわら きよむね

林城跡

居城:林城跡

概 要

信濃小笠原家当主。小笠原持長の子。鈴岡小笠原家や諏訪氏と度々争い、林城を築城する。応仁の乱では西軍を支持した。

  ポイント

  • 信濃小笠原家当主で小笠原持長の子
  • 鈴岡小笠原家や諏訪氏と争う
  • 応仁の乱では西軍を支持する

誕生・死没

  • 誕生:1417年
  • 死没:1478年
  • 享年:62歳

名 前

  • 豊若丸
  • 又次郎

官 位

  • 従五位上、右馬助、大膳大夫、信濃守

氏 族

同い年の人物

親 族

小笠原持長
赤沢不説斎の娘
武田信昌
小笠原長朝、林光政

略 歴

1417年 0歳   小笠原持長の子として誕生
1429年 12歳   元服し右馬助、大膳大夫、信濃守に任じられる
1459年 42歳   林城を築城する
1467年 50歳   応仁の乱が勃発し西軍を支持する
1474年 57歳   上洛し9代将軍・足利義尚に謁見する
1478年 62歳   死去

小笠原の内紛

小笠原家では父・持長の代から家督を巡って内紛が勃発してた

父・持長の代より小笠原家では、惣領の座を巡って府中小笠原家(清宗)、家長の松尾小笠原家と政秀の鈴岡小笠原家に分裂、衝突を繰り返す内紛が勃発していた。

出 生

信濃の戦国大名・府中小笠原家の当主の息子として誕生

清宗は府中小笠原家の当主・小笠原持長の嫡男として信濃井川館に生まれた。
1429年に元服、右馬助、大膳大夫、信濃守に任じられるが、家督相続の詳細についてはわかっていない。

周辺諸国との戦い

鈴岡小笠原家と一進一退の攻防を繰り返す

家督を継いだ清宗は小笠原家の分家である鈴岡小笠原家・政秀や隣国の諏訪氏と度々争うことになる。
時には攻め込まれることもあったため、1459年頃に新たに林城を築き、居館を移す。

応仁の乱

1467年、「応仁の乱」が勃発すると西軍を支持する。
1474年には上洛して9代将軍・足利義尚に拝謁するが1478年に死去する。

参考資料(引用元)