信秀の弟として織田家を支えた武将

織田 信康おだ のぶやす

犬山城

信康が築城した犬山城

  ポイント

  • 織田信定の子で信秀の弟
  • 犬山城を築城する
  • 加納口の戦いで戦死する

誕生・死没

  • 誕生:?
  • 死没:1544年
  • 享年:?

名 前

  • 与次郎(通称)

所 属

官職・役職

  • 不 明

親 族

略 歴

1533年 信秀と共に織田達勝と争う
1537年 犬山城に入城する
1544年 加納口の戦いで戦死する

概 要

織田信定の子で信秀の弟。犬山城を築城した人物として知られ、兄・信秀に従い今川との小豆坂の戦いなどで戦功をあげるが斉藤家との加納口の戦いで戦死する。

信秀の重臣として

信康は兄・信秀を支えた武将である。1533年7月11日、兄・信秀が主家筋の織田大和守家(清洲織田氏)織田達勝と争った際、和平成立後、兄・信秀の代理として清洲城に出向いた。
また、1537年には犬山城に入城し、織田伊勢守家(岩倉織田氏)の織田信安の後見役も務めたとされる。
兄・信秀に従い、今川氏との小豆坂の戦いなどで戦功を挙げる[2]など、政戦両面で活躍した。

最 期

1544年、斎藤道三との戦いに従軍し、美濃稲葉山城攻め(加納口の戦い)にて戦死する。
没年については1547年ともされる。
信康の子孫である子・信清は信秀・信長に対して反抗的であったため、犬山織田家は織田弾正忠家の敵対勢力の一つとなる。