二階堂家を苦境に追い込んだ大名

二階堂 照行にかいどう てるゆき

居城 須賀川城跡

  ポイント

  • 須賀川二階堂氏5代当主
  • 伊達稙宗の娘婿
  • 田村軍によって支城を奪われるなど、苦境に立たされた

誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:1564年

名 前

  • 行秀(?)
  • 輝行(?)

所 属

官職・役職

  • 官位: 弾正大弼、信濃守

親 族

略 歴

1559年 ?歳  田村家に今泉城を奪われる
1564年 ?歳  死 没

概 要

二階堂家17代当主。二階堂晴行の嫡男。伊達家や蘆名家という強敵に挟まれ、苦境に立た伊達家や蘆名家という強敵に挟まれ、苦境に立たされる。三春城主・田村清顕の軍によって支城を奪われるなど、威勢は振るわなかった。

生 涯

須賀川城を居城として、陸奥国岩瀬郡を支配した。
伊達稙宗の娘婿であったため、「天文の乱」(伊達家の内乱)の際には稙宗側に味方した。
1559年には田村氏に今泉城を奪われた。以後、度々今泉城の回復を図ったが、目的を果たせぬまま1564年に死去した。
照行の代には「わずかに五十余郷を領す」とあり衰微を思わせていた。