ポイント
- 須賀川二階堂氏5代当主
- 室町幕府将軍・義晴より偏諱を受けて晴行と名乗る
- 嫡男・照行に伊達稙宗の娘を迎える
- 白河結城・田村家と争う
略 歴
1504年 | ?歳 | 兄・行景が死没 二階堂家の家督を継ぐ |
1534年 | ?歳 | 伊達家と共に白河結城氏と戦う | 1536年 | ?歳 | 喜連川五月女坂の戦いに参陣 | 1642年 | ?歳 | 死 没 |
概 要
将軍・足利義晴より偏諱を受けて晴行と名乗る。家督相続後は伊達家との関係を強化し、隣国の白河結城氏や田村氏と争った。また、天文の乱では舅の稙宗側についた
家督相続まで
晴行は元服すると室町幕府12代将軍・足利義晴より偏諱を受けて「晴行」と名乗る。また、これ以外に別名として続義(つぐよし)、行直(ゆきなお)が伝わっている。父没後、跡を継いだ兄・行景も1504年に早死したため、家督を継いだ。
家督相続後
1534年、伊達氏と白河結城氏・岩城氏が争った際は、伊達氏と連合して白河結城氏と戦った。
この合戦で白河領の一部を獲得し、嫡男・照行に伊達晴宗の妹を迎えることとなった。
さらに隣国の田村氏とも度々争ったほか、1536年の喜連川五月女坂での宇都宮氏と那須氏との合戦に参加するなど転戦したが、1542年に病死した。没年は1537年とも言われる。