内乱により勢力を低下させた二本松家当主

二本松 政国にほんまつ まさくに

  ポイント

  • 3代当主・二本松持重の嫡男
  • 8代将軍・足利義政の偏諱を受けて政国と名乗り家督を継ぐ
  • 度重なる内乱にあい勢力を低下させる

誕生・死没

  • 誕生:不 明
  • 死没:1494年

名 前

  • 政泰(別名)

所 属

官職・役職

  • 官位:修理大夫

親 族

二本松持重
二本松村国新城村尚
   仏天、石橋泰義
養女江戸崎御前(蘆名盛隆の娘、相馬利胤正室)

略 歴


1470年 ?歳  父・持重が死没し家督を継ぐ
1494年 ?歳  死 没

概 要

二本松家第3代当主・二本松持重の嫡男として誕生。8代将軍・足利義政の偏諱を受けて政国と名乗り二本松家4代当主となる。度々内乱にあい二本松家の勢力を低下させた。

元服と家督相続

時期は不明だが8代将軍・足利義政の偏諱を受けて「政国」と名乗った。 1470年には父・持重の死去にともない家督を相続した。

二本松家の勢力低下

家督を継いだ政国だが内乱に悩まされることになる。
まず、従兄弟の高倉政泰が家督を主張して政国と争い、他の庶流家の本宮氏らも政国に対し不服従の姿勢を見せるなどしたため、政国の代までには、二本松氏の勢力は相当に失われていた。 そんななか、1494年1月18日死没した。家督は嫡男・村国が家督を相続した。