ポイント
- 浪岡当主・具永の嫡男で8代当主
- 浪岡氏の最盛期を築く
- 浪岡氏の衰退の遠因も作ったという
誕生・死没
- 誕生:1509年
- 死没:?年
官職・役職
- 官位: 従五位下、弾正少弼、侍従
概 要
浪岡北畠家8代当主。浪岡具永の子。浪岡城を居城とし、浪岡御所と称された。父・具永の代に築かれた基礎をもとに勢力を拡大し浪岡家の全盛期を築く。しかし、お金を使いすぎ、浪岡氏の衰退の遠因も作ったという。
浪岡家最大版図
近隣の大光寺家や大浦家などと協力して津軽地方を統治し、父・具永の代に築かれた基礎をもとに勢力を拡大に成功。津軽の支配強化に努め浪岡北畠最大版図を構築する。
浪岡家の衰退
浪岡北畠の全盛期を築いた具統だが、寺社修復などの文化事業に力を入れるが、これが財政面での負担を招き、浪岡氏は徐々に衰退していくことになる。
具統が補修した神社には「油川の熊野宮」、「今別の八幡宮」、「猿賀の権現堂」なのがある、
死 没
これまで、具統の死没期は1552年10月20日に死去されたとしてきた。
しかし、平成23年『補略』と総称される公家名簿の史料郡が学会に相次いで紹介され、父・具永、子・具運が死没されたとした年以降も生存を認識されており、河原御所の乱で殺害されたのは補略に記載がない浪岡具統である可能性が高いとされている。