ポイント
- 長尾景仲の子で山内上杉家の筆頭家老
- 享徳の乱で古河公方・足利成氏を追い詰めるほどの活躍をする
- 五十子の陣にて在陣中に陣没した
誕生・死没
- 誕生:1413年
- 死没:1473年
- 享年:61歳
名 前
- 彦四郎(通称)
官位・幕職
- 左衛門尉
- 上野・武蔵国守護代
所 属
- 山内上杉 家
- 白井長尾家
親 族
父 | : | 長尾景仲 |
正室 | : | 長尾頼景の娘 |
兄弟 | : | 長尾忠景(弟)、長尾景明、太田資清正の正室、長尾景棟(義理弟)、長尾良済(義理弟) |
子 | : | 長尾景春、上杉定正の正室、豊島泰経の正室、 大石憲儀室、千葉自胤の正室室 |
略 歴
1413年 | 0歳 | 長尾景仲の嫡男として誕生 |
1455年 | 43歳 | 享徳の乱が勃発 |
1461年 | 49歳 | 父・景仲が隠居し家督を継ぐ |
1471年 | 59歳 | 総大将として足利成氏の下野国に攻める |
1472年 | 60歳 | 古河城を攻め落とす |
1473年 | 61歳 | 五十子の陣で戦没 |
概 要
山内上杉家の家宰(筆頭家臣)。白井長尾氏4代当主。上野国・武蔵国守護代。上杉房定の次男・顕定を擁立し主家を継がせる。享徳の乱では総大将として古河公方領に侵攻するが五十子陣において陣没した。
誕生と家督相続
白井長尾氏3代当主、長尾景仲の子として誕生する。
1461年、享徳の乱の最中、父・景仲が高齢を理由に隠居。景信はその跡を継いで山内上杉家の当主・上杉房顕の家宰となった。※家宰とは家中の筆頭重臣のこと。
上杉顕定の擁立
1466年に主君である関東管領山内上杉家の当主「房顕」が嫡子無くして死去すると、8代将軍・足利義政の命を受け、越後国の守護大名であった上杉房定の次男・顕定を房顕の養子として迎えた山内上杉家を継がせ、さらに1467年には関東管領にしている。
景信自身も守護代として山内上杉家の実権を掌握し、陰の実力者として古河公方である足利成氏と対立した。
享徳の乱
1455年に関東の大乱「享徳の乱」が勃発すると、1471年に景信が自ら総大将として足利公方の領地下野国に攻め入り、赤見城や樺崎城を落とした。さらに同年には下総国に攻め入って、足利成氏の居城・古河城を攻め落とし古河公方を追い込んだ。
しかし1472年、足利成氏が千葉家らの力を借り、古河城を奪い返すと、再び自ら総大将として下総に攻め入り、足利軍と対峙した。戦いは優位に進めていたが、その最中である1472年6月23日、五十子陣の帯陣中に陣没した。享年61歳であった。
景信の死後は弟・忠景が山内家の家宰を継いだが、これに不満を抱いた嫡男・景春が後に主君・顕定に対して反乱を起こす事になる(長尾景春の乱)。