ポイント
- 葛西晴信に従い各地の合戦で戦功を挙げる
- 葛西一揆に参加する
- 伊達政宗により謀殺される
官職・役職
- 官位:不 明
親 族
- 兄弟 : 武鑓儀信(弟)
略 歴
1526年 | 1歳 | 誕生 | 1579年 | 53歳 | 富沢直綱の反乱を鎮圧 |
1588年 | 62歳 | 浜田広綱の乱を鎮圧 |
1590年 | 62歳 | 奥州仕置きにより領地没収 葛西大崎一揆に参加 |
1591年 | 56歳 | 伊達政宗により謀殺される |
概 要
武鑓城主。富沢家の叛乱鎮定や、浜田家と熊谷家の兵乱鎮圧などに従軍し、活躍した。桃生郡深谷において弟の儀信とともに伊達政宗に謀殺された。
>奥州仕置きと葛西大崎一揆
主君・葛西晴信は1590年に豊臣秀吉による奥州仕置で所領を没収され、常秀も没落する。
その後、新領主として入封してきた木村吉清・清久父子が領内において苛政を行ったため、常秀ら葛西旧臣は葛西氏と同じく改易された大崎氏の旧臣らと共に領民を煽動して一揆を起こす(葛西大崎一揆)。
しかし、一揆は木村父子の救援を命じられた蒲生氏郷、伊達政宗らによって鎮圧される。
その後、常秀は桃生郡深谷で伊達政宗配下によって、弟・常忠ら米谷一族や同じく葛西旧臣の武鑓重信らと共に謀殺されたという。