概 要
三浦義同(道寸)の嫡男。「八十五人力の勇士」の異名をもった三浦氏最後の当主。父と供に北条軍に対して3年間の籠城戦を行うが、最後は父の自害を見届けた後、敵陣に突っ込み戦死する。
ポイント
- 三浦義同の嫡男で相模三浦氏最後の当主
- 北条早雲と戦うが、破れ三浦氏は滅亡する
- 身長227センチあり、「八十五人力の勇士」の異名を持った
誕生・死没
- 誕生:1496年
- 死没:1516年
- 享年:20歳
名 前
- 荒次郎(通称)
官 位・役 職
- 官位:弾正少弼
親 族
父 | : | 三浦義同(道寸) |
母 | : | 横須賀連秀(三浦氏庶流)女 |
正室 | : | 真里谷信勝の娘 |
兄弟 | : | 義意 、 太田資康の正室 |
1496年 | 0歳 | 三浦義同の嫡男として誕生 |
1510年 | 14歳 | 三浦氏の家督を継ぐ |
1513年 | 17歳 | 岡崎城・住吉城を北条家に奪われる 北条軍が新井城を包囲 |
1516年 | 20歳 | 北条家によって新井城落城 義意が討ち死に |
誕生と家督相続
★ 義同の嫡男として誕生し若くして家督を相続する
1496年、三浦義同の嫡男として誕生する。
1510年、義意が14歳の時に父・義同から新井城と三浦氏の家督を譲られる。また上総の武将、真理谷信勝の娘(異説あり)を正室に娶った。
三浦氏の最後
新興勢力の北条家と激しい戦いを破れ三浦氏は滅亡する
家督を継いだ義意は、主家である上杉朝良や足利政氏に従って、伊豆からの新興勢力・北条早雲と戦う。しかし、1513年頃には岡崎城(現在の伊勢原市)・住吉城(現在の逗子市)を北条氏によって奪われて三浦半島に押し込められた。
主家である扇谷上杉家の援軍も北条軍に遮れ、義意は父と共に新井城に籠り、3年近く籠城戦を継続するが、遂に新井城は落城した。義意は父・義同の切腹を見届けた後に敵中に突撃して討ち取られたと言う。これによって三浦氏は滅亡し、北条氏による相模平定が完了する事になる。
逸 話
身長227センチの大巨漢
『北条五代記』よると、義意の身長は7尺5寸(227センチ)と記載されており、最期の合戦で身につけた甲冑は鉄の厚さが2分(6センチ)、白樫の丸太を1丈2寸(364センチ)に筒切りにしたものを八角に削り、それに節金を通した棒(金砕棒)をもって戦い、逃げる者を追い詰めて兜の頭上を打つとみぢんに砕けて胴に達し、横に払うと一振りで5人、10人が押し潰され、棒に当たって死んだものは500余名になった。
敵が居なくなると、自ら首をかき切って死んだ、と記されている。
だが『北条五代記』より前に成立したと推測されている『北条記』にはそのような記述はなく、永正15年(1518年)7月11日に父・義同や家臣たちと共に討死した、と記されている。