松平長親の五男で藤井松平家の祖

松平 利長まつだいら としなが

藤井城址

概 要

松平長親の五男。父・長親から藤井の地を与えられ、藤井松平家の初代となる。
その後も松平宗家を支援し続けたが、桶狭間の戦いの前哨戦である尾張丸根城攻めで戦死した。

 ポイント

  • 松平長親の五男。藤井松平家の祖
  • 松平宗家を支持する
  • 尾根丸根城攻めて戦死

誕生・死没

  • 誕生:????年
  • 死没:1560年
  • 享年:?歳

名 前

  • 千熊(幼名)
  • 彦四郎(通称)

所 属

親 族

松平長親
天野某(弾正)娘
兄弟 信忠親盛信定
  義春利長
信一

略 歴


1540年 ?歳  織田家が安祥城を攻撃しこれを撃退(安城合戦)
1560年 ?歳  尾張丸根城攻めで戦死

誕生と藤井松平家

☆ 家康の曾祖父・松平長親の五男として誕生

誕生年は不明だが松平家5代目当主・松平長親(家康の曾祖父)の五男として誕生する。
父・長親は、勢力を拡大して安定をはかるため、一族を福釜、桜井、藤井などに配置した。利長は藤井の地を与えられ、南の西条、東条吉良家に備え、ここに藤井松平家が誕生した。

織田家との戦い

☆ 安祥城の戦い

1540年、織田信秀軍が松平家の三河安祥城を攻撃した、松平家は一時劣勢になるが、利長は松平広忠の命により、松平(源次郎)信康、松井忠次、松平(甚六郎)康忠とともに援兵として城を守った。
この戦いは激戦となり、城主・長家をはじめ、信康、康忠が戦死する中、利長は忠次とともによく防戦して、織田軍を撃退することに成功した(安城合戦)。

最 期

★ 死因は謎

1560年5月、利長は桶狭間の戦いの前哨戦でもある、尾張丸根城攻めで戦死した(但し書状等で永禄3年以降の生存が確認されており、戦死が誤りと言う説もある)。

★ 墓所

享年不詳。墓所は愛知県蒲郡市西浦町の法林山光忠寺。法名は「龍徳院殿奇春樹祥大居士」。
山形県上山市の月岡神社は利長・信一父子を祀るために1877年に建てられたとされる。