松平家4代目当主。松平氏菩提寺の大樹寺を創建者

松平 親忠まつだいら ちかただ

大樹寺内にある松平八代墓の親忠の墓

概 要

松平信光の三男で松平氏4代当主。安祥松平家初代。松平家の勢力を拡大したほか松平氏菩提寺の大樹寺を創建した。

 ポイント

  • 松平信光の三男で松平家4代目当主
  • 松平氏菩提寺の大樹寺を創建
  • 第二次井田野合戦で、武名を挙げた

誕生・死没

  • 誕生:1431年?1438年?
  • 死没:1501年
  • 享年:71歳?63歳?

名 前

  • 竹千代(幼名)、竹若丸(幼名)
  • 西忠(法号)

官 位・役 職

  • 官位:従五位下、左京亮

所 属

親 族

松平信光
真浄院殿(一色満範あるいは一色宗義)の娘?
真浄院殿(一色満範あるいは一色宗義)の娘?
兄弟 守家、昌龍、親忠、与副、光重、光英
  忠景、光親、家勝、親正、親則、戸田宗光室
親長乗元長親、親房
張忠、存牛、親光、長家、乗清

略 歴


1431年 0歳  松平信光の三男として誕生
1467年 36歳  第一次井田野合戦で活躍
1470年 39歳  伊賀八幡宮を創建
1475年 44歳  松平氏菩提寺・大樹寺を創建
1487年 56歳  麻生城の天野景孝を滅ぼす
1489年 58歳  父・信光が死没したため家督を継ぐ
1493年 62歳  第二次井田野合戦で阿部氏らを破る
1496年 65歳  長男・長親に家督を譲り隠居
1501年 71歳  死 没

家督相続まで

☆ 各地の戦いで活躍するほか松平家ゆかりの寺を創建

1431年(または1438年)に松平信光の三男として誕生する。
親忠は武勇に優れ、1467年には井田の郷(現・岡崎市井田町)での第一次井田野合戦で、品野氏や伊保氏の軍勢を破っている。
また、1470年代には家康にも影響を与えた松平家の守護神である伊賀八幡宮や菩提寺の大樹寺を創建した。
その後も、麻生城の天野景孝等を打ち破っている。

家督相続

★ 父が死去したために家督を継いだ

1489年頃に、父・信光が死去したために家督を継ぎ、安祥城主・安祥松平家初代となった。
その後、1493年の第二次井田野合戦で、上野城主阿部氏、寺部城主鈴木氏、挙母城主中条氏、伊保城主三宅氏、八草城主那須氏らを破り、武名を挙げた。

親忠は勢力を拡大させると子を分立して大給松平家、滝脇松平家などを成立させた。

分家から宗家へ

★ 親忠は松平家の分家に過ぎなかったが子孫が

『三河物語』(江戸時代初期に作成された徳川史観による偏った記述による資料)では、父の信光は長男(名は記載なし)に家督を譲ったとあり、親忠は分家的な存在に過ぎなかったとされている。だが後に安祥松平氏から清康・家康ら松平氏を代表する人物が現れたため、親忠が4代当主扱いされたと言われている。