概 要
松平長親の次男。松平信忠の弟。三河国碧海郡福釜の領主となり、福釜松平家の祖となった。武勇に優れ松平宗家に忠義を尽くしたが東三河攻めにて戦死した。
ポイント
- 松平長親の次男。福釜松平家の祖
- 武勇に優れ「戦については凄腕で他に越す者がいない」と評された
- 東三河の戦いにて戦死
誕生・死没
- 誕生:1503年
- 死没:1530年
- 享年:28歳
名 前
- 三郎次郎(幼名)
- 左京亮(通称)
官 位・役 職
- 官位: 左京亮(右京進)
所 属
略 歴
1503年 | 0歳 | 松平長親の次男として誕生 |
1530年 | 27歳 | 東三河平定戦にて戦士 |
福釜家の祖
☆ 福釜城を居城とし福釜家の祖となる
1503年、松平家5代目当主・松平長親の次男として誕生する。
その後、父・長親より、福釜と東端(安城市東端町など)を受け継ぎ、福釜城を居城とし福釜松平家の祖となった。また、福釜村の宝泉院(福釜良心寺)の開基ともなった。
宗家への忠誠
☆ 武勇に優れ松平宗家である甥の清康を補佐する
『三河物語』によると、「戦については凄腕で他に越す者がいない」と評された人物で、松平宗家に忠誠を尽くしたとされている。
最 期
★ 東三河の平定戦にて先手役として出陣し討ち死にする
主君で甥にあたる松平清康が東三河を平定する際、先手役として熊谷氏の居城・宇利城(新城市中宇利)を大手門から10数名で攻めたが多くの傷を被って討死した。