里見軍の中心的な人物だったが第二次国府台合戦で戦死する
正木 信茂
概 要
里見家臣。里見家の重臣・正木時茂の嫡男。父・時茂が死没すると正木家の家督を継ぎ里見軍の中心的な人物として活躍するが第二国府台合戦で戦死した。
ポイント
- 正木時茂の嫡男。時茂の死後家督を継ぐ
- 里見軍の中心的な人物として活躍する
- 第二国府台合戦で戦死
誕生・死没
- 誕生:1540年
- 死没:1564年
- 享年:25歳
同い年の武将
名 前
- 大太郎(幼名)
- 平七(通称)
所 属
略 歴
1540年 | 0歳 | 正木時茂の嫡男として誕生 |
1561年 | 21歳 | 上杉謙信の関東出兵 父・時茂が死没 信茂、正木家の家督を相続 |
1564年 | 25歳 | 第二次国府台合戦で戦死 |
家督相続
☆ 父・時茂の死没により家督を相続する
1540年、里見氏の重臣・正木時茂の嫡男として誕生する。
1561年、父・時茂が死没すると信政が正木家の家督を継ぎ当主となった。その後、主君・里見義堯の娘・種姫を娶った。
里見家の北上侵略
☆ 里見家の北上
里見家が上総・下総に侵攻すると信茂は中心的存在として千葉氏の原胤貞や大須賀政常らと戦った。
しかし、1564年の第二次国府台合戦の際に戦死した。享年25歳であった。
種 姫
★ 「伏姫」のモデル
信茂の死後、妻の種姫は出家して尼となった。
養老渓谷に近い上総朝生原(現在の市原市朝生原)に富士山宝林寺を建立し、そのまま宝林寺で生涯を全うした。
この若くして山中に隠棲した種姫を、曲亭馬琴の読本『南総里見八犬伝』に登場する「伏姫」のモデルと唱える説がある。