概 要
真里谷武田家の一族。真里谷家2代目当主・真里谷信勝の子。恕鑑の弟。当主・恕鑑死後の家督争いで、甥・真里谷信応に味方し、勝利を収める。以後は当主となった信応の補佐役となった。
ポイント
- 真里谷信勝の子。真里谷恕鑑の弟
- 佐貫城城主
- 恕鑑の死後、甥・信応を擁立し補佐する
誕生・死没
- 誕生:?
- 死没:1549年
- 享年:?歳
名 前
- 信保、信秋?(実名?)
- 心盛斎(通称)
- 源松(法名)
官 位・役 職
- 官位:大学頭
所 属
略 歴
1533年 | ?歳 | 里見家内で内紛(稲村の変)が勃発 |
1534年 | ?歳 | 兄・恕鑑死没 信隆が家督を相続 真里谷信隆と信応の家督争いが勃発(全方は信応に味方する) |
1537年 | ?歳 | 信応が信隆を破り、家督を相続する 全方が信応を補佐する |
1549年 | ?歳 | 死 没 |
真里谷家の内紛
☆ 兄・恕鑑の死後、真里谷家で内紛が勃発
1534年、兄であり、真里谷家の当主・怒鑑の死没した。
恕鑑の嫡子・真里谷信応はまだ幼かったため、真里谷家の家督は、庶長子の真里谷信隆が継いだが、やがて、信応と信隆との間で家督争いが勃発した。
全芳は信応を補佐し活躍、そして1537年に家督騒動は信応の勝利で終結した。敗れた信隆は隣国の北条家を頼って相模国へ逃亡そた。