概 要
真里谷家を興した真里谷信興の嫡男。千葉家の後ろ盾を持つ、原氏に対抗するため里見氏と同盟を結び、原氏の居城・小弓城を奪取し古河公方・足利政氏の次男・足利義明を擁立し「小弓公方」を創立させた。
ポイント
- 真里谷家を興した真里谷信興の嫡男で真里谷家2代目当主
- 原氏の小弓城を奪取し足利義明を据え「小弓公方」を名乗らせる
- 古河公方・足利高基と争う
誕生・死没
- 誕生:?
- 死没:1523年
- 享年:?歳
名 前
- 信嗣(別名)
- 八郎五郎(通称)
- 三河入道(別名)
- 全舜(法号)
官 位・役 職
- 官位:式部丞、式部大夫、三河守
所 属
略 歴
1511年 | ?歳 | 父・信興が死没 |
1516年 | ?歳 | 北条早雲から援軍を受けて原氏と戦う |
1527年 | ?歳 | 足利義明を擁立し「小弓公方」の創立に加担 |
小弓公方の創立
★ 足利義明を擁立し「小弓公方」の創立に加担した
家督を相続した信勝は、同族の武田宗信(庁南家)と共に三上氏と抗争を繰り返した。また、千葉氏の後ろ盾を持つ原氏とも対立しており、これに対して信勝は1517年、2代古河公方・足利政氏の子である「空然(後の足利義明)」を擁立し、原氏の居城である小弓城を奪取し、城主の原胤隆や一族の原友胤・原虎胤父子を追放した。
奪取した小弓には還俗し「足利義明」と名乗った空然を据えた。その後、義明を「小弓公方」を名乗らせ、自らも「房総管領」と名乗ったと伝えられている。
その後、勝手に小弓公方を名乗った信勝・義明に対して憤怒した3代古河公方・足利高基が攻め寄せてくるとこれと戦った。
※以上の出来事は弟の信清又は嫡男・恕鑑であったともされている。