ポイント
- 馬加康胤の嫡男
- 下総千葉家2代目(千葉家21代当主)
- 東常縁に馬加城を攻め落され、討ち取られる
誕生・死没
- 誕生:1434年
- 死没:1456年
- 享年:22歳
官職・役職
- 官位:記録なし
略 歴
1434年… | 馬加康胤の嫡男として誕生 |
1455年… | 父・馬加康胤が千葉宗家を滅ぼす |
1456年… | 東常縁に討たれ、馬加城を攻め落とされる |
享徳の乱
1455年享徳の乱が始まると、これに乗じた千葉氏の重臣でもある原胤房は千葉城を急襲、千田庄(現在の多古町)に逃れたまだ幼い当主千葉胤宣を、康正元年8月12日(1455年9月23日)に原胤房に加担した胤持の父・康胤が討って千葉氏宗家を滅ぼした。しかしこの時の胤持の行動については定かではない。
最 期
原胤房は将軍足利義政が派遣した東常縁に追われ同年11月24日に逃亡し、その後東常縁の入った市河城(現在の市川市市川)は、康正2年(1456年)正月19日古河公方足利成氏の派遣した簗田持助に落とされたが、東庄の近い下総匝瑳郡(匝瑳市と旭市の一部)へ逃れ体制を立て直した東常縁に馬加城(現在の千葉市花見川区幕張町)を攻め落され、胤持は6月12日に討たれてその首は京に送られたという。