「乗込大学」の異名をとった二本松家家臣
小田辺 勝成
概 要
二本松家家臣。騎戦に長け、単騎で敵陣を破ること多く、「乗込大学」の異名をとった。主家滅亡後は浪人生活を経て伊達家に仕え、武頭役(足軽大将)として3百石を領した。
ポイント
- 二本松家家臣
- 乗込大学の異名をとる
- 主家滅亡後は伊達家に仕える
誕生・死没
- 誕生:不 明
- 死没:不 明
- 享年:不 明
名 前
- 乗込大学(あだ名)
略 歴
1589年 | ?歳 | 二本松家が滅亡 |
1598年 | ?歳 | 伊達政宗に仕える |
1600年 | ?歳 | 慶長出羽合戦に参陣 |
生 涯
小田辺城を居城としたことから小田辺氏を名乗ったとされている。
元々は二本松氏に仕えていたが、主家滅亡後は浪人したのち、1598年に片倉景綱を通じて伊達政宗に仕官し、300石を領し武頭役(足軽大将)となった。
1600年の「北の関ヶ原」といわれた慶長出羽合戦においては、留守政景に従軍して最上義光の救援に向かい、石川実光と共に上杉軍の総大将・直江兼続と対峙した。
その後の動向についはて詳しく分かっていないが、大坂の陣にも従軍し、1616年に隠居料を与えられたとされる。
乗込大学の由来
騎戦で敵を撹乱することに長け、単騎で敵陣に突撃し破ったことから「乗込大学」の異名をとった。