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斯波家に忠誠を尽くし南部家に徹底抗戦し戦死する
岩清水 義長
ポイント
- 遊興にふける主君・斯波詮直をたびたび注意する
- 主家に忠誠を尽くし南部軍に対して徹底抗戦を貫き戦死する
概 要
肥後と称した斯波家臣。政務を省みず遊興に耽る主君・詮直をたびたび諫めるが聞き入れられなかったという。南部家が斯波家を滅ぼした際に、主家に殉じた。
奥州斯波家臣として
斯波詮直に仕えるが、詮直が遊興にふけって政務を疎かにするのを細川長門守や稲藤大炊助らと共に何度も諫めたという。しかし、詮直は聞き入れず、斯波氏を見限り南部氏に通じる家臣が相次いだ。
義長の弟・義教もその一人だった。
斯波家滅亡
岩清水義教が南部氏の家臣・中野康実(九戸家)に通じ反乱を起こすと、詮直の命を受けた義長は義教の居城・岩清水城を攻めるが敗走した。
その後、義長は主君・詮直と合流し南部信直の軍勢と戦うも敗れ、高水寺城に逃れる。
主君・詮直が逃亡するなか義長は主家に忠誠を尽くし、南部軍に対して徹底抗戦を貫き工藤茂道・永井延明と共に戦死した。