「結城四天王」の一人となった重臣

結城 朝堅ゆうき ともかた

概 要

結城家家臣。旧姓は三浦義堅であったが、功績を立て「結城四天王」の一人となり、結城氏の重臣であった岩上姓を与えられた。

  ポイント

  • 結城家家臣で「結城四天王」の一人
  • 外交面で活躍
  • 功績をたて結城氏の重臣であった岩上姓を与えられた

誕生・死没

  • 誕生:?年
  • 死没:1569年
  • 享年:?歳

名 前

  • 三浦義堅(初名)

所 属

親 族

岩上持家

結城四天王

元々の名前は「三浦義堅」でり「三浦一族」の出自であったが、功績を立て「結城四天王」の一人となったことから、結城氏の重臣であった「岩上姓」を与えられ、それと同時に主君・結城晴朝の「朝」の一字を賜った。

結城家での功績

朝堅は主に常陸国方面の結城領を管轄し、佐竹義重や田村清顕と文書のやりとりを行うなど、外交面で活躍した。1569年に死没した。
その後、子・持家らは、結城氏を継いだ越前松平家に仕えた。