ポイント
- 蘆名家庶流・猪苗代家12代目
- 自立傾向が強く幾度も謀反を起こす
- 伊達に寝返り「摺上原の戦い」での蘆名氏敗戦の原因を作った
誕生・死没
- 誕生:1536年
- 死没:1590年
- 享年:64歳
官職・役職
- 弾正忠
親 族
- 父 :猪苗代盛清または猪苗代盛頼
- 子 :猪苗代盛胤
- 子 : 猪苗代宗国
- 子 : 猪苗代盛頼
略 歴
1536年… | 猪苗代盛清または猪苗代盛頼の嫡男として誕生 |
1585年… | 家督を嫡男・盛胤に譲り隠居する |
1588年… | 伊達家に寝返る |
1589年… | 摺上原の戦いで先陣を務め勝利に貢献 |
1590年… | 死 去 |
概 要
蘆名家臣だったが後妻の讒言により子・盛胤の廃嫡を企むが発覚し、盛胤と争った。のちに主家に背いて伊達家に属し、摺上原合戦では先陣を務めて蘆名軍と戦い伊達家の勝利に貢献した。
猪苗代家
猪苗代氏は桓武平氏・三浦氏の流れを汲む蘆名氏の支流。蘆名氏の重臣であった。
盛国も猪苗代家11代当主・猪苗代盛清(猪苗代盛頼の説あり)の嫡男として生まれ、蘆名盛氏の家臣として仕えた。
猪苗代城奪還
盛国は1585年に嫡男・盛胤に家督を譲って一度は隠居したが、後妻の息子・宗国を溺愛し、1588年に後妻の讒言に乗って盛胤を廃嫡しようと画策した。そして、盛胤に譲ったはずの猪苗代城を奪還し親子で争った。
伊達家への寝返り
その後伊達家が蘆名領に侵攻すると、伊達家家臣・伊達成実を介して猪苗代城ごと伊達家に寝返り、「摺上原の戦い」では伊達軍の先鋒として息子・盛胤と戦う。盛国はこの戦いで活躍し伊達氏大勝の一因を作った。この際に、次男・宗国を伊達方に人質として差し出している。
この功績により伊達氏の準一門に列せられ、5000石の禄を与えられた。
その後、猪苗代家の家督は宗国が継いだとされ、長男・盛胤は常陸国に逃亡したという。