ポイント
- 北条氏綱の四男
- 上野平井城や小机城主を務めた
- 伊達家との外交などでも活躍した
誕生・死没
- 誕生:1522年
- 死没:1562年
- 享年:40歳
名 前
- 菊王丸(幼名)
- 十郎(通称)
官 位
- 左衛門佐
所 属
親 族
父 | : | 北条氏綱 |
母 | : | 養珠院宗栄(鎌倉北条氏の末裔とされる横井氏の出身) |
正室 | : | 瑞渓院(今川氏親の娘) |
側室 | : |
遠山康光室の姉妹 松田殿(松田憲秀娘) |
兄弟 | : | 北条氏康(兄)、北条為昌 (兄) |
大頂院殿(北条綱成の正室) 、 浄心院高源院(太田資高の正室) | ||
芳春院(足利晴氏の室) 、 ちよ(葛山氏元の正室) | ||
蒔田殿(吉良頼康室) 、 北条綱成(義弟) | ||
子 | : | 氏親 、氏政 、七曲殿(北条氏繁の正室) |
氏照 、 尾崎殿(千葉親胤の正室)、氏規 | ||
長林院殿 、 蔵春院殿(今川氏真の正室) 、 氏邦 | ||
上杉景虎 、 浄光院殿(鎌倉公方・足利義氏の正室) 、 桂林院殿(武田勝頼の継室) |
概 要
北条氏綱の四男。上野平井城の城将や小机城主を務め上杉謙信が関東に進出した際は河越城に入り、籠城の末、守り切った。伊達家との外交などでも活躍を見せている。
北条家で重要ポスト
三兄・為昌の死後、叔父・北条幻庵の後見を受けながら、上野平井城の城将を務めたり、房総半島に進軍するなど活躍した。
1560年には幻庵の嫡男・三郎が死去したため武蔵小机城主となり、翌年には長尾景虎の関東進出により河越城に入城し、長尾軍攻撃を死守している(小田原城の戦い)。
一方で伊達氏の史料伊達文書から伊達氏と外交交渉を行っているなど北条氏において重要とされる将だった。
北条氏康の九男・氏光との関係
長らく北条氏康の九男・氏光と同一人物とされてきたが、近年の研究で氏康と7歳しか違わないことや氏光と違う人物である事が確認された。