北条(千葉) 直胤ほうじょう(ちば) なおたね

概 要

北条氏繁の四男。下総関宿城攻めで、武蔵千葉氏当主の千葉胤宗が戦死し、胤宗に嫡子がなかったため直胤が婿養子となり、家督を相続した。

  ポイント

  • 北条氏繁の四男
  • 武蔵千葉氏に養子入りする

誕生・死没

  • 誕生:?年
  • 死没:?年
  • 享年:?歳

名 前

  • 千葉胤村(初名)、次郎(通称)

所 属

親 族

北条氏繁
七曲殿(北条氏康の娘)
正室  蓮覚院(上田朝直の娘)
兄弟 北条氏舜(兄)、 千葉直胤(弟)、北条氏成(兄)
  北条繁広(弟) 、 (上杉氏憲室)
  娘(杉原長房室)
北条氏明、北条繁広(養子)、北条氏重

武蔵千葉氏へ養子

1574年10月に古河公方足利義氏の宿老・簗田持助が北条氏に反旗を翻したため,北条氏康は持助の居城である、関宿城を攻撃したその際に北条氏に属した武蔵千葉家当主・千葉胤宗も関宿城攻めに加わったが、討ち死にした。
胤宗に嫡子がなかったため、北条氏からの婿養子である直胤が家督を相続した。
直胤が署名した発給文書が2点残されているが、その他の詳細についてはわかっていない。