【2021/6/13】
北条氏繁の四男。下総関宿城攻めで、武蔵千葉氏当主の千葉胤宗が戦死し、胤宗に嫡子がなかったため直胤が婿養子となり、家督を相続した。
1574年10月に古河公方足利義氏の宿老・簗田持助が北条氏に反旗を翻したため,北条氏康は持助の居城である、関宿城を攻撃したその際に北条氏に属した武蔵千葉家当主・千葉胤宗も関宿城攻めに加わったが、討ち死にした。 胤宗に嫡子がなかったため、北条氏からの婿養子である直胤が家督を相続した。 直胤が署名した発給文書が2点残されているが、その他の詳細についてはわかっていない。
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