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北条家滅亡後は徳川家に仕える
大道寺 直繁
概 要
北条氏家臣。大道寺政繁の嫡男。北条氏直より偏諱を賜い直繁と名乗る。北条家滅亡後は北条氏直と共に配流先の高野山へ同行した後、徳川氏に仕える。
ポイント
- 大道寺政繁の嫡男
- 北条家滅亡後は氏直と共に高野山へ幽閉される
- 氏直の死後は徳川家に仕えた
誕生・死没
- 誕生:不 明
- 死没:不 明
名 前
- 孫九郎(通称)
所 属
大道寺家
京都府綴喜郡宇治田原町の大導寺が発祥といわれている平氏(藤原氏とも)の流れを汲む一族で、北条家とは血の繋がりがあるとされている。
室町時代中期に大道寺重時(周勝の祖父)が従兄弟の伊勢盛時(後の北条早雲)らと伊豆国へ下向し、伊勢氏が戦国大名北条氏になるとその重臣として仕え、北条氏家中では「御由緒家」と呼ばれ、代々北条氏の宿老的役割を務め、主に河越城を支配していた一族。
直繁の由来
父・政繁が北条氏政から「政」の字を偏諱されたのに対して、直氏も主君の北条氏直より偏諱を賜い「直繁」と名乗った(「繁」の字は父から1字を与えられたものである)。
小田原征伐
1590年、豊臣秀吉による小田原征伐が行われ北条家が敗れると、戦国大名としての北条家は滅亡した。この時、秀吉の命令により父・政繁と主君・氏政は自害した。徳川家康(氏直の義父であった)の強い懇願によって、氏直や政繁の子供たちは助命され、直繁は氏直と共に高野山へ幽閉された。
幽閉後
北条氏直と直繁が幽閉された翌年の2月、氏直は秀吉から罪の許し得て幽閉から解放された。しかし、それから間もなくの11月に氏直が急死した。(その所領は小田原征伐を生き延びた北条一門・北条氏規が引き継いだ)
氏直の死後、直繁は氏規には仕えず恩人である徳川氏に臣従することとなり、家康の跡を継いで江戸幕府第2代将軍となった徳川秀忠に仕えたとされる。