概 要
北条氏の宿老。大道寺盛昌の嫡男。父・盛昌の没後、鎌倉代官及び河越城代となった。また鎌倉の寺社領の検地を行うとともにその再建にも尽くした。
ポイント
- 大道寺盛昌の嫡男で北条氏の宿老
- 鎌倉代官となり、父の死後に河越城代となる
- 鎌倉の寺社領の検地とその再建に尽力した
誕生・死没
- 誕生:不 明
- 死没:1561年
名 前
- 源六(通称)
- 重興(別名)
官位・役職
- 駿河守
所 属
大道寺家
京都府綴喜郡宇治田原町の大導寺が発祥といわれている平氏(藤原氏とも)の流れを汲む一族で、北条家とは血の繋がりがあるとされている。
室町時代中期に大道寺重時(周勝の祖父)が従兄弟の伊勢盛時(後の北条早雲)らと伊豆国へ下向し、伊勢氏が戦国大名北条氏になるとその重臣として仕え、北条氏家中では「御由緒家」と呼ばれ、代々北条氏の宿老的役割を務め、主に河越城を支配していた一族。
鎌倉代官として
河越夜戦の後、河越城の城代となった父・大道寺盛昌に代わって鎌倉代官となり、父の死後に河越城代となった。
周勝は鎌倉代官として、鎌倉の寺社領の検地を行うともにその再建に尽くした。
北条家での活躍
1553年の武田信玄が駿河へ侵攻にすると、周勝は主君・北条氏康と松田憲秀らと共に今川義元の救援に駆けつけている。1558年に行われた古河公方足利義氏の鶴岡八幡宮参詣の際にこれを迎える準備を行っている。
1561年の上杉謙信による河越城攻撃を防ぐのに功績があったが、間もなく死去したといわれている。