千葉家25代当主。父の死後家督を継ぐが翌年に死去した。
千葉 利胤
概 要
千葉家25代当主。昌胤の子。妻は北条氏康の娘。父の死後家督を継ぎ河越夜戦等に参戦したが翌年に死去した。当時は宿老・原家の力が強く「千葉は百騎、原は千騎」といわれた。
ポイント
- 千葉昌胤の息子で千葉氏25代目当主
- 関東諸将で唯一、河越夜戦で活躍
- 家督相続の翌年死没
誕生・死没
- 誕生:1515年
- 死没:1547年
- 享年:33歳
名 前
- 不明
官位・役職
- 下総権守
所 属
略 歴
1515年 | 0歳 | 千葉昌胤の長男として誕生 |
1523年 | 8歳 | 元服 |
1532年 | 17歳 | 北条氏綱の娘を正室に迎える |
1546年 | 32歳 | 家督相続 河越夜戦に参陣 |
1547年 | 33歳 | 死没 |
元 服
利胤の少年時代は小弓公方や里見氏の侵攻によって存続の危機に陥っていた。そのため元服も千葉氏代々の慣例であった千葉妙見宮(現在の千葉神社)で行う事が出来ずに、1523年に本拠地の佐倉近くの佐倉妙見宮で行われた。
家督相続
1546年、父の死去により千葉氏の家督を継ぐ。しかし、千葉氏の家中では原胤清ら重臣の発言力が強く「千葉は百騎、原は千騎」といわれた。また、この頃に弟の臼井胤寿と争っていることが知られている。河越夜戦では、関東諸将で唯一北条方に参加したものの、家督を継いでからわずか1年で死去したため、あまり事蹟らしい事蹟はない。享年33。跡を子の千葉親胤が継いだ(実子がいないため、末弟である親胤を子として家督を継がせたとも)。
晩 年
河越夜戦では関東諸将で唯一北条方に参加したものの、家督を継いでからわずか1年で死去したため、あまり実績はない。享年33歳だった。跡を子の千葉親胤が継いだ(実子がいないため、末弟である親胤を子として家督を継がせた)。