千葉家26代当主。反北条家の立場をとったため暗殺される

千葉 親胤ちば ちかたね

千葉親胤

千葉親胤(久保神社蔵)

概 要

千葉家26代当主。千葉家の跡を継ぐが。幼少のため、実権は親後北条氏の立場にあった家臣の原家に掌握された。その後反北条寄りの立場を取ったため北条家によって暗殺された。

  ポイント

  • 千葉利胤の息子で千葉氏26代目当主
  • 古河公方の足利晴氏と手を結び北条家に対抗する
  • 北条氏康に破れ、捕まった後、暗殺される。

誕生・死没

  • 誕生:1541年
  • 死没:1557年
  • 享年:17歳

名 前

  • 民部卿丸(幼名)

官位・役職

  • 下総権守

所 属

親 族

千葉利胤又は千葉昌胤
尾崎殿(北条氏康の娘)

略 歴


1541年 0歳  誕生
1547年 8歳  家督を継ぐ
1555年 16歳  元服
1557年 17歳  北条氏康に攻められ幽閉
家督が海上胤富に譲渡される
暗殺される

出 生

親胤の出生には第25代当主・千葉利胤の嫡男とする説と、第24代当主・千葉昌胤の四男(利胤の弟)で、利胤の死去時に他の兄弟が他家を継いでいたために千葉氏に残っていた親胤が嫡子の扱いを受けて家督を継いだとする説がある。

家督相続

1547年、父の死去により跡を継ぐ。しかし幼少のため、実権は親後北条氏の立場にあった家臣の原胤清・胤貞父子に掌握された。その後、1555年に元服を行った。

最 期

家臣の原胤清・胤貞父子の横暴に不満を抱いた親胤は反後北条氏の立場に立ち、同じく反後北条氏の立場にあった古河公方の足利晴氏と手を結んだ。しかしそのために北条氏康の侵攻を受けて捕らえられ、家督を叔父(あるいは兄)の海上胤富に譲渡させられた上で幽閉される。そして1557年、暗殺されてしまった。享年17歳であった。

逸 話

暗 殺

暗殺犯は一般的には北条氏康と言われているが、近年では原胤貞あるいは同族で胤清と権勢を競っていた原親幹が氏康の内諾を得た上で暗殺したものと言われている。

親隆の怨霊

佐倉市の海隣寺にある海隣寺中世石塔群の石塔には刻まれた銘文から親胤の菩提を弔ったものも含まれる。
また、香取市の久保神社には江戸時代初期の千葉氏当主・千葉定胤(胤富の曾孫で零落して旧臣の家に寄宿していた)が描いたとされる親胤像が伝えられているが、その背景には親胤の怨霊を恐れたからとする説がある。