古河公方・政氏の子。兄・義明に従い北条家と戦う

足利 基頼あしかが もとより

概 要

古河公方・足利政氏の子。父・政氏と長兄・高基にしたがったがその後、次兄・義明の傘下に入り北条家と争うが第一次国府台合戦で戦死する。

  ポイント

  • 古河公方・足利政氏の子
  • 次兄・足利義明に従う
  • 第一次国府台合戦で北条氏に破れ戦死する

誕生・死没

  • 誕生:????年
  • 死没:1538年
  • 享年:??歳

名 前

  • 高氏(初名)
  • 高基/義基

親 族

足利政氏
兄 弟 高基義朝上杉顕実(足利義綱)?
  基頼、貞岩昌永(甘棠院開祖)

略 歴

1513年 ?歳 

元服

1518年 ?歳 

永正の乱が終結

1531年 ?歳 

足利義明(小弓公方)の傘下に入る

1538年 ?歳 

第一次国府台合戦に破れ戦死する

誕 生

古河公方・足利政氏の四男?として誕生する。
推測では明応(1492~1501年)の前半生まれだとされており、少なくとも1531年には元服していたとされている。

古河公方時代

1506年、父・政氏と兄・高基が対立すると、基頼は政氏方として常陸国で活動していたが、1516年までに高基方に寝返り、大掾忠幹や真壁家幹と結んで一時は行方郡方面にも出陣している。

小弓公方時代

次兄・義明が小弓公方を名乗り独立するとその傘下に入る

兄である高基・義明兄弟の対立、高基・晴氏の親子対立では一貫して高基派であったが、1531年に、高基に敗れた後に、房総半島で再起して「小弓公方」を称していた義明の傘下にはいった。

北条氏との戦い

1538年になると義明は北条氏綱と争うことになる。
基頼もこれに従い、第一次国府台合戦で北条家と戦うが義明と共に戦死した。

参考資料(引用元)