関東管領職に就くが関東享禄の内乱で破れ管領職を失う
足利 晴直
概 要
足利高基の四男として生まれる。上杉憲房の養子になり「上杉憲寛」と名乗り関東管領を継ぐ。
関東享禄の内乱に敗れ、関東管領職を失い、上総国宮原に移住する。
ポイント
- 古河公方・足利高基の四男
- 山内上杉家・上杉憲房の養嗣子となり上杉氏14代目当主となる
- 北条氏の対応を巡って父・高基や兄・晴氏と戦う
- 関東享禄の内乱の結果、管領職を失う
誕生・死没
- 誕生:1511年
- 死没:1551年
- 享年:40歳
官職・役職
- 関東管領
略 歴
1511年 | 足利高基の四男として誕生する?その後、山内上杉家へ養子にいく |
1525年 | 上杉憲房が死去し、関東管領を世襲する 北条家に対抗するため小弓公方・足利義明と同盟を結んだため、実父・高基と対立する |
1531年 | 関東享禄の内乱が勃発、これに敗れ管領職を失う 上総国宮原に移住する |
1551年 | 死 去 |
関東管領の世襲
古河公方・足利高基の四男として誕生した。
祖父・足利政氏の実弟であり大叔父・上杉顕実との争いに勝利して山内上杉家の家督と関東管領職を継いでいた上杉憲房の養嗣子となる。
その後、憲房に実子・憲政が生まれるが、1525年に憲房が死去すると憲政は幼少だったことから、憲寛が跡を継いで関東管領となった。
実父・高基、兄・晴氏との対立
扇谷上杉家の上杉朝興は台頭する後北条氏に対抗するために、江戸湾の支配を巡って後北条氏と対立関係に陥っていた小弓公方・足利義明との連携を図り、更に上杉一族の結集を目指して山内上杉家当主である憲寛にも協力を求めた。
憲寛はこれに応じたものの、実父・高基とその弟である義明は古河公方の地位を巡って敵対関係にあり、朝興を介在して義明とも同盟関係に入った憲寛は結果的に父・高基や兄・晴氏とも戦うことになった。
管領職の失脚
1531年、関東享禄の内乱の結果、管領職を失う。
父や兄とは小弓公方の対応を巡って争っていたため古河に帰れず、真里谷信政を頼って、義明の支配下にあった上総国宮原に移住する。
上杉氏を追われた後は足利に復姓した上、同母兄・足利晴氏と同様に、12代将軍・足利義晴から偏諱を受けて晴直と名乗った。
天文20年(1551年)、同地で死去した。
孫・宮原義照からはその地名により宮原姓を称し、江戸幕府の旗本となった。