概 要
室町時後期の会津蘆名家当主。家督を継ぎ黒川城主となると渋川氏を攻め滅ぼし会津領内の国人領主層と内戦を続けた。後に子の盛滋と不和になり蘆名家を2つに割る内乱となった。
ポイント
- 蘆名家13代当主
- 会津盆地全域に勢力を広げる
- 蘆名家を2つに割る内乱を作る
誕生・死没
- 誕生:1448年
- 死没:1518年
- 享年:92歳
名 前
- 小太郎(幼名)
所 属
官職・役職
- 官位 : 従四位下 、 修理大夫 、 刑部丞
同年代の人物
- 里見成義、壬生綱重
略 歴
1448年 | 1歳 | 蘆名家12代当主・蘆名盛詮の嫡男として誕生 | 1466年 | 19歳 | 家督を相続する | 1479年 | 32歳 | 渋川氏を攻め滅ぼし勢力を拡大 |
1482年 | 35歳 | 嫡男・盛滋誕生 |
1494年 | 46歳 | 伊達氏の領内で騒乱が発生したため伊達尚宗を救助する |
1505年 | 57歳 | 嫡男・盛滋と戦い勝利する。 |
1518年 | 70歳 | 死 没 |
蘆名家の戦国大名化
1466年、父・盛詮の死により家督を相続すると、1479年には土豪・渋川氏を滅ぼして勢力を会津盆地にまで拡大。
1500年には重臣・松本輔政を、1501
年には一門の猪苗代盛頼を討ち取るなど、家中の反抗勢力を討ち、蘆名氏の戦国大名化に成功した。
その後も、領土拡大にも積極的であり家臣である鴫山城主の長沼政義とともに下野国への進出を狙い下野の戦国大名・宇都宮成綱と戦った。
蘆名家内乱
1505年頃になると嫡男・盛滋と不仲になり対立する、盛滋は重臣の・松本氏の支援を受けて合戦に及ぶが結果は盛滋側が敗れた。
盛滋は伊達尚宗の下に逃れたが、盛高は後に盛滋の罪を許して帰国させている。
その後、1518年12月8日、死去した。享年70歳であった。蘆名家の家督は嫡男・盛滋が家続した。