ポイント
- 蘆名家14代当主
- 父と共に猪苗代盛頼を討つ
- 伊達稙宗を援護し最上家と戦う
概 要
蘆名家14代当主。父・盛高と共に蘆名家に抵抗した猪苗代盛頼を討った。
その後、父との関係が不和になり抗争となるが、のち和解して家督を継いだ。武勇に優れた人物だったという。
誕生・死没
- 誕生:1482年
- 死没:1521年
- 享年:40歳
名 前
- 出羽判官(通称)
所 属
官職・役職
- 官位 : 民部少輔、遠江守
同年代の人物
- 菊池能運、島津忠広、垣屋続成、仁木高長、細川元常、松平乗正
略 歴
1482年 | 1歳 | 蘆名家13代当主・蘆名盛高の嫡男として誕生 | 1500年 | 19歳 | 父・盛高に従い猪苗代盛頼を討つ | 1505年 | 24歳 | 父・盛高と対立するが敗れる | 1506年 | 25歳 | 父・盛高と和解する |
1518年 | 37歳 | 父・盛高が死没し家督を継ぐ |
1520年 | 39歳 | 伊達稙宗の援軍として最上義房と戦う |
1521年 | 40歳 | 死 没 |
父・盛高との争い
1482年、蘆名家・第13代当主・蘆名盛高の子として生まれる。
武勇に優れていたとされ、初陣ながら1500年には父に従って蘆名家に抵抗した猪苗代盛頼を討っている。
だが、次第に父・盛高との関係に亀裂が入り1505年に重臣・松本氏の支援を受けて父・盛高と合戦に及んだが敗れたため、姻戚関係である伊達尚宗の下に亡命した。しかし、翌年には和解し蘆名家に帰参している。
蘆名家当主として
1518年に父が死没すると盛滋は家督を相続する。1520年には最上家の家督に軍事介入していた伊達稙宗の援軍として上山城主・最上義房と戦った。
その後、1521年に死没した。享年40歳であった。
盛滋には実子・盛幸が居たが、弟の盛舜が家督を相続したため、盛幸は別家・針生氏を継いだ。