酒により早死にした蘆名家17代当主
蘆名 盛興
概 要
蘆名家17代当主。盛氏の嫡男。伊達稙宗の娘を嫁に迎える。盛氏同様智勇に優れていた。父の隠居により家督を継ぐが、酒毒により早死にする。
ポイント
- 蘆名盛氏の嫡男
- 盛氏同様に智勇に優れていた
- 父の隠居により家督を継ぐが酒毒により早死にする
略 歴
1547年 |
0歳 |
蘆名盛氏の嫡男として誕生 |
1561年 |
15歳 |
家督を継ぐ |
1566年 |
19歳 |
彦姫(伊達晴宗の娘)を妻に迎える |
1574年 |
26歳 |
死没(酒毒) |
誕 生
1547年、第16代当主・蘆名盛氏の嫡男として誕生。生年については諸説あるが、1547年生まれが正しいとされている。
母親は父・盛氏の正室である伊達稙宗の娘。結婚後10年目にしてようやく授かった世継ぎであった事から盛氏は盛興をたいそう可愛がったと思われる。
蘆名家当主として
1561年、父・盛氏の隠居に伴い家督を譲られて蘆名17代当主となった。盛興は父と同様に智勇に優れ、蘆名氏の勢力拡大に尽力を尽くした。
※家督相続については、働き盛りの盛氏がまだ15歳の盛興に家督を譲り隠居するなど考え難いという意見もある。
1566年には、父・盛氏の案で伊達輝宗の妹・彦姫(伊達晴宗四女)を盛興の妻に迎えた。
ちなみに、この縁談は1558年にも持ち上がるが盛興がまだ若年すぎため破談となっている。
死 没
「会津四家合考」と「富田家年譜」によれば盛興は1574年酒毒(酒の飲み過ぎ)のため病死した。
。『会津旧事雑考』によれば、父・盛氏は盛興の酒豪癖を懸念してか領内における造酒を禁止した。また、死因を酒毒とした場合、盛興の病気はかなり長期に渡っていたとも推測される。
また、盛興の妻は伊達輝宗へ手紙を送っていたことがあるが、盛興が酒毒を長年患っていた場合、彼女は盛興の代理として輝宗と手紙のやりとりをしていたと考えられる。
参考資料(引用元)
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戦国1000人
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