湊安東家7・9代当主
男子に恵まれず檜山安東家から養子をとる
安東 堯季
概 要
湊安東家7・9代当主。宣季の子。父の死後家督を継いだ。
家督相続後は関係が悪化していた宗家・槍山安東氏と和議を結び血縁関係となったほか、管領細川家の執事から「謹上書衆」に遇された。
男子に恵まれず、娘婿・舜季の三男・茂季を養子とした。
ポイント
- 湊安東家7・9代目当主
- 不仲であった槍山安東家と関係を修復する
- 男子に恵まれず檜山安東家から養子をとる
誕生・死没
- 誕生:???年
- 死没:1587年
- 享年:???歳
名 前
- 定季(初名)
- 洪廓(隠居後)
- 堯季(9代目当主復帰後)
- 鉄船庵(号)
- 安東二郎
- 湊左衛門佐入道(通称)
- 大虚(戒名)
官職・役職
- 官位: 左衛門佐
略 歴
1543年 | ?歳 | 証如と書状を交わす |
1546年 | ?歳 | 証如と書状を交わす |
1551年 | ?歳 | 死 去 |
堯季の取り組み
不仲であった檜山安東家(宗家)と和議を結ぶ
父の死後、家督を継承した堯季は浄土真宗本願寺派第10世宗主・証如と書状を交わすなど寺社を保護したほか、
大祖父・安東昭季以来不仲であった宗家下国(檜山)安東氏と和議を結び、娘を安東舜季の正室とし血縁関係となった。
後継者
男子に恵まれず檜山安東家から養子をもらう
中央政権と交流を深め、関係が悪かった檜山安東家と和議を結び領国の安定に務めた堯季であったが、男子に恵まれず、弟・友親の子と伝えられる友季を養子とするが早世、次いで舜季二男・春季を養子に迎え8代当主とし、自らは出家し洪廓(洪郭)・鉄船庵(号)と名乗った。
しかし、若死にしたため還俗し、「堯季」と改名したうえで9代当主となった。
その後、後継者に恵まれず1551年に死去した。
堯季亡き湊安東家は舜季の三男・茂季が家督を継ぐが1579年に死去し、湊騒動の遠因となった。