湊安東家10代当主
檜山安東家の三男として誕生したのち湊安東家に養子にでる
安東 茂季
概 要
湊安東家10代当主。舜季の三男。
安東堯季の養子となっていた兄・友季の死後、堯季の養子となり、湊安東家の家督を継いだ。
その後、蠣崎季広の六女を妻とした。
ポイント
- 安東舜季の三男
- 湊安東家の養子となり10代目当主となる
- 蠣崎季広の六女を妻とする
同い年の人物
- 明智光忠 , 姉小路頼綱 , 尼子義久
天羽久利 , 安東定次 , 伊地知重政
大久保忠包 , 多門重信 , 小幡信真
小浜景隆 , 梶谷景雄 , 丸目長恵
本庄繁長 , 正木信茂 , 樺山忠助
北条康種 , 船越景直 , 遠山利景
木曾義昌 , 豊臣秀長 , 島清興(左近)
鳥居強右衛門 , 成松信勝 , 陶長房
略 歴
1540年 |
0歳 |
安東舜季の三男として誕生 |
1570年 |
30歳 |
第二次湊騒動が勃発 |
1579年 |
39歳 |
死 去 |
誕生と湊安東家へ養子
茂季は1540年、安東家の宗家である檜山安東家当主・安東舜季の三男として誕生した。
兄には安東愛季がいる。
兄・愛季が安東氏を統一すると、茂季は庶家である湊安東氏9代当主・安東堯季の娘を娶り湊安東氏の家督を継ぎ愛季を支えた。
豊島城移動
1570年、豊島玄蕃ら湊城近隣の国人らが安東愛季に反発し第2次湊騒動を起こした。
約2年間続いた暴動は愛季の救援により鎮圧するが、騒動後の秋田郡一帯は愛季の支配下となり、茂季は豊島城に移された。
茂季はこの8~9年後に死去している。