湊安東家10代当主
檜山安東家の三男として誕生したのち湊安東家に養子にでる

安東 茂季あんどう しげすえ

概 要

湊安東家10代当主。舜季の三男。
安東堯季の養子となっていた兄・友季の死後、堯季の養子となり、湊安東家の家督を継いだ。
その後、蠣崎季広の六女を妻とした。

  ポイント

  • 安東舜季の三男
  • 湊安東家の養子となり10代目当主となる
  • 蠣崎季広の六女を妻とする

誕生・死没

  • 誕生:1540年
  • 死没:1587年
  • 享年:47歳

名 前

  • 重季(別名)

所 属

親 族

安東舜季
養 父 安東堯季
安東堯季の娘
兄 弟 愛季 、 春季(友季)、茂季
季隆 、 季堅
安東通季、湊金十郎、秋田吉五郎
孫十郎政李

略 歴

1540年 0歳 

安東舜季の三男として誕生

1570年 30歳 

第二次湊騒動が勃発

1579年 39歳 

死 去

誕生と湊安東家へ養子

茂季は1540年、安東家の宗家である檜山安東家当主・安東舜季の三男として誕生した。
兄には安東愛季がいる。

兄・愛季が安東氏を統一すると、茂季は庶家である湊安東氏9代当主・安東堯季の娘を娶り湊安東氏の家督を継ぎ愛季を支えた。

豊島城移動

1570年、豊島玄蕃ら湊城近隣の国人らが安東愛季に反発し第2次湊騒動を起こした。
約2年間続いた暴動は愛季の救援により鎮圧するが、騒動後の秋田郡一帯は愛季の支配下となり、茂季は豊島城に移された。

茂季はこの8~9年後に死去している。

参考資料(引用元)